ます初めに、寿司の円環があった。
次に回転が生まれた。
川の流れに乗る葉っぱを見つめることで、寿司は流れて行った。これが世界の始まる1日目である。
2日目は、実存だった。寿司は本質に先立ち、実存は寿司に遅れをとった。
回転は、寿司の皿が連続体として連なって、一つの流れを産んだ。始まりと終わりを結ぶことで、始まりと終わりがなくなり、クロノス的な時間が無限に伸びていった。
3日目は、反対に時間をくぎることとなった。寿司のネタが食べ尽くされた。円環は無限を意味せず、次のねたを追加する必要があった。クロノス的な時間は終焉を迎え、代わりにカイロス的な時間の流れが生まれた。永遠である。
自転車のチェーンのような、寿司のかたまりから、車輪が発明された。
4日目は、欲の創造であった。まず寿司があった。次に食が生まれた。ネタとシャリが重なるように、人類の祖先は重なった。それは性と呼ばれた。寿司が皿の上で横たわった。光と影が生まれた。夜の始まりである。
5日目は、知恵が生まれた。円環で永遠と回る寿司は、回るたびに一ビットの情報を生み出した。そして、車輪は再び発明された。
6日目に寿司は論理を打ち立てた。寿司があれば、脱構造としての脱寿司がある。寿司は対立構造になった。加えて、寿司は寿司だった。
7日目は社会を形成するに至った。寿司の周りには、人類の祖先と海の始まりである魚と陸の始まりである米があった。彼らは対立しながらも拮抗し、秩序と安寧をもたらした。
7日を持って寿司は世界を作り、世界は寿司を作った。寿司の誕生である。