べんつよ
めんどくさい、めんどくさい。
意識が高くなると、なんかやる気が出る。手を動かしていると、止める方がめんどくさく、終わらせるまでやるかー、とやる気が出る。
高校生の時に先生が「勉強するのは、歯磨きと一緒。やることが当たり前になれば、やらないことが自分の中で気持ち悪くなる」って言ってた。
勉強する人は、だいたい何かを批判する。テレビとかネットとか。
なんでなのか、ちょっと考えた。
僕は人文科学の分野の、そこそこ普通のどうしょーもなき大学生だ。
おそらく「今、この世界は完璧じゃないよ」ってことを理解したのかもしれない。
生まれると、生まれる前の技術は事件は全部過去のものだ。だからあって当たり前だし、その技術の順番がどうとかどうでもいい。
だから、その前のガラケーのことはよく知らないか、黒電話とポケベルの世代のズレ、なんてどうだっていい。
だからこそ、昔のスマホがない時代が想像できない。
それが手元にあることで変化した意識とそれが手元にある前の意識や行動を、正確に描写できない。
さて、ここで勉強と想像力。
知識を身につけて、じっと考えてみる。
すると、母親の話も分かるし、再放送のドラマだって、雰囲気がリアルに掴めるはずだ。
なんというか、そういうこと。
勉強してなかったら、西暦がキリスト教由来のものであることもしらないし、宗教の複雑さも分からないかもしれない。
もしかしたら2019年が世界の全てで、西暦0年から地球が生まれた、とか考えている人もいるかもしれない。地球が生まれたのは、だいたい46億年前だと、いや、違うかもしれないけど、おそらくめちゃくちゃ昔だよ。
それが分かるのは、知識だ。知識だけなんだと思う。他人とのおしゃべり、本、テレビ、教科書などから、さまざまな形で知識が流れている。ちょっと意識して拾ってみるのもいいかもしれない。文化資本はそうやって蓄積されると思う。
しかし、めんどくさい。
学習するときに一番コスパがいいのは本だ。テレビなんかもいい教材だと思うけど、テーマを選ぶ時に自分の欲しいところがどうか見極めるのが手間だったりする。あと引用や参考文献が分からない。
本だとそこそこ参考文献が分かる。
ただ、めんどくさいのは、学習するために本を読むことは必要なんだけど、本を読んだからと言って学習できるわけじゃない。ここがめんどくさい。本を読まないと覚えられないのだけど、本を読んだだけでは何も覚えてなかったりする。
その場合の対処法は、何度も本を読み返すことか、誰かに話してみるか、ただ紙に書いて覚えるのもあるし、聖書のように音読するなどと言った方法がある。
なんつうか、こういうことを考えながら勉強していたら、頭の中がぐるぐるした。勉強しなくてはいけないんだが、逃げのようにこのはてなブログを書いた。
ふぅ、勉強するか〜〜